東洋はりの診察方法3-触診
医は愛なりの精神で!
先回は問診と腹診についてのお話しをさせていただきました。今回は切経といって、いわゆる触診にあたるものですが、その特徴をお話しさせていただきます。
そもそも昔は患者さんが苦しむ箇所をなでさすることから医の行為が始められ、しだいに発達して医学の体系が整ってきました。昔から治療をすることを「手当てをする」と言われてきましたが、救いを求める患者さんの肌とこれに答えようとする治療科の手が触れることを表している言葉です。
「医は愛なり」という言葉がありますが、最近は「医は愛なりではなくて、算術なり」とか、「病院では先生がパソコンばかり見ていて、体を見てくれない、聴診器も当ててくれない」などの話を耳にすることがあります。
たしかに現代医学においては精密に検査するためには、CTやMRIなどの画像検査や、血液、尿、便などの検体検査が大切で、それによって今まで分からなかった病気やその原因まで分かるようになり、それで治療をすることができ命を落とさずに済むようになりました。
それに対して東洋医学では、「未病を治す」という観点から、患者さんのあらわしている症状も、もちろん大切ですが、その人の体の状態や本々持っている素因などを判断して治療を行なってきました。
ですから、我々の世界では「病気を見るのではなくて病人を診なさい」と言われます。このことが現代医学と古来からの東洋医学の最も異なる点であると思います。
そこで、実際の治療では、患者さんの今一番訴えている悪い場所やその他にある症状の場所を触診することはもちろんですが、そのほかに12経の道筋に従って要穴(重要なつぼ)を目標によく触診します。
触診にあたっては、その部の触った感じや温度、押して痛む場所、こり、拍動、へこんでいる場所、触って鈍いところなど注意して観察します。
赤く脹れて緊張して熱感があり、押せば痛んで不快感があるようなものを実としています。捻挫やぎっくり腰などではそのような感じになることが多いです。
冷えていて痩せ皮膚がざらざらして弾力がなくおして心地良いものは虚としています。女性の生理不順のときの足や下腹部はこのような感じが多くあります。
しかし、これは特徴的な場合であって、実際の坐骨神経痛の患者さんの足を触診したとすると、上の方は硬く突っ張っていて、しかし皮膚はざらついていて、押すと痛むか押しても痛くないといわれます。膝より下の方は冷たく筋肉は突っ張っていて押したり触ったりすると痛気持ち良いといわれたりもします。
経絡でも実経中にも虚があったり、虚経の中にも実があったりと、なかなか複雑で触診だけでは体の状態を見極めることは難しくてわれわれを悩ませています。
肩凝りなどでも患者さん本人は右側がこってしかたがないと訴えているのに、我々が触ってみると左側のほうが、筋肉が硬くて突っ張っていて凝りも大きいものや押すと左側のほうが痛いといわれることが多くあります。私はこり感を感じるのは、左右の筋肉のバランスが悪くなると自覚的にはこり感を感じたり、痛みとして出てくるのではないかと考えています。
どちらの肩もこっている人の筋肉を押しても患者さん本人は「肩凝りを自分ではあまり感じたことはありません」といわれる人がかなりおられます。
触診は先にも書きましたが「手当て」という意味でも悪いところを触ってもらうだけでなんだか気持ちがよくなることもあり、とても大切な診断行為と同時にそれ自体が既に治療ともなります。
しかし、敏感な体の患者さんや自立神経失調症などの患者さんはあまり多く撫でられるとそれだけで返って疲れたり具合が悪くなる人も中にはおられます。その辺は我々治療する側が気をつけなければならない点であると思います。
今回はこれで話を終わりといたしますが、次回からは我々東洋はり(経絡治療)の最も重要な柱である脈診についてお話しさせていただく予定です。